その日は新宿で合コンだった。
私はあんまり行きたくなかったんだけど、結佳の強烈なお願い攻撃に屈伏し、しぶしぶ参加してきた。
やはり、思っていたとおりで、これは!ってメンズはいなかったし、料理もイマイチだったから、とりあえず呑んで帰るかと思い、呑みに撤して何事もなく普通に酔って部屋に帰ってきた。
部屋に着いたら、軽くシャワーでも浴びるつもりだったんだけど、バックを置いてベットに座ったら、なんとなくダルくなってしまい、知らぬ間にそのまま寝てしまっていた。
どれくらい経った頃だろう…
閉じている瞳に、青白い灯りが点滅している感覚に気がついた。
モゾモゾと灯りのする方に右手を伸ばすと、何かに触れた。
左手で目蓋の上をゆっくりと擦りながら、右手に触れたものを確かめてみる。
それは、私のではない携帯電話だった。
「これ…誰の?」
独り言を口からゆっくり吐き出しながら、知ってる人の携帯を思い出してみる。
ダメだ…
思いつかない。
仕方なく、軽いため息をついていると、その携帯に何らかの着信を知らせるランプが点滅していた。
私は、恐る恐るその携帯電話を開き、壁紙などはない真っ白な画面を見た。
画面にはメール受信中の赤い文字が、幾度となく蠢いていたが、着信音などはなかった。
しばらくすると、画面にはメールのアイコンが表示され、携帯は静かになった。
私は薄暗い部屋の中で、ゆっくり丁寧に携帯を見た。
画面には日付と時刻とメールのアイコンがあるだけ。
携帯の色は黒で、小さな鈴の付いた白いストラップがついている…
やはり、私の知ってる人には、この携帯を持っている人はいない。
私は携帯を折り畳んで、枕元に置き、クシャクシャと軽く頭を掻き毟って横になった。
「これ…誰のだろう?」
ボンヤリと天井を見つめながら、また独り言を吐き出しながら、私はまた携帯を手に取った。
両手でゆっくりと携帯を開く。
相変わらず画面にはメールのアイコンがある。
「見ちゃおっか…見れば、誰の携帯か知る手掛かりがわかるかもしれないし、私の部屋にあるんだし、いいよね?」
そんな都合の良いことを携帯に向かって話し掛けながら、私はゆっくりとメールのアイコンをクリックした。
鈴木美優さんへ
今、私はあなたの部屋の近くからメールを出しました。
このメールをあなたは2:43に開きます。
そして、あなたはこの携帯を持って、3:06に部屋を出て、私に会いに来てくれます。
私は3:10にメゾンドソレイユの101号室前にいます。
「なんで私の名前を知ってるの!?」
メールを開いて、私は声を上げた!
それに、私がメールを見る時間まで書いているなんて…
私は自分の携帯をバックから取り出して、時間を見た。
2:45
「なんで…」
一気に目が覚めた。
それと同時に背筋がゾッとした。
私はもう一度メールを見た。
それから、この携帯について調べはじめた。
電話帳、受信メール、送信メール、着信記録…
色々調べてみたが、何もわからなかった。
いや、私宛てに来たメールの他には何もなかった。
「なんなんだろ…」
肩まで伸びた髪を右手で掴み、後頭部をクシャクシャと掻き毟りながら、私は考えた。
朝になったら警察に行こうか…
でも、上手く説明できる?
無視してよっか…
でも…
どうしよう…どうしよう…
考えても、考えても答えなどでるはずはなかった。
ボーっとノッペリとした天井を暗がりの中で眺めいる私は、このメールの差出人のことが気になってきた。
何故、私の部屋に携帯があったのか?
それに、何故、私の名前を知っているのか…
メールで呼び出された場所は、私の住んでいるアパートの一階だし、101号室の隣部屋は大家さんの娘が確か住んでいたはず…
大丈夫よね?
ううん、きっと大丈夫。
私はだんだん真夜中に人を混乱させるヤツが、どんなヤツなのか一目見たくなってきた。
そして、ベットからむくりと起き上がりバスルームに行って顔を洗った。
タオルで顔を拭いていると、ふと目の前にあるヘアスプレーに目が留まった。
「目潰しくらいにはなるかな…」
私は簡単に身支度を整えて、バックの中にヘアスプレーと知らない携帯を入れ、自分の携帯を右手に持ち部屋を出た。
部屋の外はいつもの夜よりも静まり返っている気がした。
私は周囲に気を配りながら、ゆっくりと階段を降りて行った。
そして、何事もなく一階に着く。
指定された部屋の前を少し遠目から覗くと、ショートヘアの小柄な女性が立っているのが見えた。
その女性は、不意に私の方に向き直り、両手を前に合わせて深々と頭を下げた。
私は少し面食らいながらも周囲に気を配りながら、ゆっくりと彼女の方に近付いていった。
「こんばんは。こんな夜更けにお呼び出ししてしまって、ごめんなさいね」
彼女はとても丁寧に、そしてゆっくりとした口調で話はじめた。
「あ、そうそう、はじめに言っておきますね。私はあなたに危害を加えたりしようなんて、まったく思ってないから安心してくださいね。話もすぐに済みますから」
私は彼女の瞳を見つめていた。
彼女も私の瞳を寸分の狂いなく見つめながら話しかけている。
彼女の瞳はとても透き通っていた。
「今夜、あなたをこんな時間に呼び出してしまったのは、あなたに直にお礼を言いたかったからなんです」
お礼?
私は彼女の顔をよく見つめながら、どこかで会ったか思い出してみた。
どこかですれ違ったりしていたかもしれないが、少なくとも私の記憶にはまったくない女性だった。
「私はあなたをよく知っています。けれど、今のあなたは私をまったく知らない」
彼女は私のことを知っていて、今は私は彼女のことをしらない?
えっ?今は?
「そぅ、今はまだ、あなたは私のことを知らないの。でも、もう少し時間が経ったら私のことを思い出します。でも、それはどうでもいいことなの。私は今これからあなたにお礼が言える。それが大切なことなの」
私はまったく意味がわからなかった。
見ず知らずの女性からお礼を言われるようなことなど、まるで思い当たらなかった。
しかも、何故こんな夜更けに…
「鈴木美優さん。あなたは私達親子をとても愛してくれました。そして、私の子供の死に涙を流して悲しんでくれた」
親子?子供の死?
子供?!
「あの子が亡くなってからも、あなたは私達のことを気に掛けてくれた。私は本当に嬉しかった」
私は混乱していた。
何が何だかさっぱりわからない状態だった。
あなたは一体誰なの?
「鈴木美優さん。本当にありがとう。そして、この一言がいいたい為に、こんな時間に呼び出してしまってごめんなさい」
彼女はとても丁寧に深々と頭を下げ、再び顔を上げる彼女の瞳は涙に濡れていた。
「それでは、さようなら」
彼女はもう一度深々と頭を下げ、くるりと私に背を向けて歩きだした。
「あ!け、携帯!」
私は急にあの携帯のことを思い出し、彼女に向かって叫んだ。
「いぇ、あの携帯はいいんです。もし、良かったら大切にしてあげてください」
彼女は振り返って、少し微笑みながら会釈すると、闇の中に消えていった。
私はやっと彼女の後を追った。
しかし、暗闇の路地にはもう誰もいなかった。
私はあの携帯が気になり、バックを開けた。
そこにはヘアスプレーと、小さい鈴が付いた白く細い首輪が入っていた。
「あ!」
私は声を上げた。
その時、私の携帯が鳴った。
「もしもし?」
「もしもし、美優?今、あなたのところにもあの子のお礼をって来なかった?」
「うん、来たよ…来た」
私は結佳と電話しながら泣いていた。
結佳も泣いていた。
今夜、私達にお礼を言いに来たのは、学校でよく見る猫だった。
その猫は春に子供が生まれ、私達は子猫に小さな鈴がついた白い首輪をつけ、学校内で見かける度に可愛がっていた。
しかし、ついこの間、学校前の道で車に轢かれている子猫を結佳と見つけてしまい、二人で声を上げて泣いた。
その姿をあの猫が悲しそうに見つめていた。
私は部屋に戻り、小さな鈴の付いた細い首輪をバックから取り出してギュッと握り締めた。
「ごめんね。そして、ありがとう」
私は気持ちを込めて、首輪に語り掛け、首輪をアクセサリーケースの中に丁寧にしまった。
窓からは、まばゆい朝の光りが差し込んできた。
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