2010年の7月1日に一体何の意味があったのかは今はわからない。
それは「今」であるから思うのであって、これが「過去」になったら何らかの意味をもつのかもしれない。
言葉のアヤ?
そうかもしれない。
けれども、少なくとも「今」は今日の意味も、明日の希望も、まったくもって謎のままである。
今を生きるということは、そんなものなのかもしれない。
雷を伴った雨が激しく窓を叩いている。
叩く?
いいや、打っている。
雨が激しく窓を打っているのである。
「本当にそうなの?」
「あぁ、そうだ」
「でも、あなたからは何も響いてこない」
「どうして?」
「それは、あなただから」
「僕だから?」
「そう・・・」
「・・・」
「あなただから。他の誰とも違うあなただから」
「そう、他の誰とも違う君だから」
「・・・」
「わかっている」
「ううん。わかっていない」
「まったく?」
「そう。まったく」
雨というものは、とりとめのないドーナツトークである。
天からその時の勢いに任せて降り注ぐ様に一体何の意味があるのだろうか?
太初にコトバありき、コトバは神とともにありき、コトバは神なりき
コトバは太初神とともにあり
万物はこれによりて創られ
創られしもののうち ひとつとして これによらずして創られしものはなし
これに生命あり この生命は人の光なり
光は闇に輝き 闇はこれを知らざりし
That living word awakened my soul,
gave it light,hope.joy,set it free!
ことばは何を表わすのか?
ことばによって表わされる(形を与えられる)以前の「感情」とは何か?
ことばはどこまで対象を表わし得るか?
ことばが表わしきれないのは何か?
ことばがむしろ隠してしまうものは何か?
人の生き様と言葉とは、「行為の偶像」であって、「行為の虚像」であってはならない。
それは、闇であり、光にはなり得ない。
「わからない・・・」
「僕もわからない・・・」
「嘘!」
「本当だ!」
「じゃぁ、どうして、そんな出鱈目を言うの?!」
「出鱈目じゃない」
「嘘!」
「嘘じゃない!」
「じゃぁ、なんで?」
「じゃぁ、どうして?」
「どうして?」
「どうして・・・」
雨は窓を叩くのを止めた。
けれど、僕はコトバを紡ぐのを止めたくない。
いや、正確には止めれない。
コトバを紡ぎ続けることに意味も希望もあるかどうかなんて「今」はわかりたくない。
ただ、「今」は君とコトバを紡いでいたい。
それが僕の「今」の本心だ。
それは「今」であるから思うのであって、これが「過去」になったら何らかの意味をもつのかもしれない。
言葉のアヤ?
そうかもしれない。
けれども、少なくとも「今」は今日の意味も、明日の希望も、まったくもって謎のままである。
今を生きるということは、そんなものなのかもしれない。
雷を伴った雨が激しく窓を叩いている。
叩く?
いいや、打っている。
雨が激しく窓を打っているのである。
「本当にそうなの?」
「あぁ、そうだ」
「でも、あなたからは何も響いてこない」
「どうして?」
「それは、あなただから」
「僕だから?」
「そう・・・」
「・・・」
「あなただから。他の誰とも違うあなただから」
「そう、他の誰とも違う君だから」
「・・・」
「わかっている」
「ううん。わかっていない」
「まったく?」
「そう。まったく」
雨というものは、とりとめのないドーナツトークである。
天からその時の勢いに任せて降り注ぐ様に一体何の意味があるのだろうか?
太初にコトバありき、コトバは神とともにありき、コトバは神なりき
コトバは太初神とともにあり
万物はこれによりて創られ
創られしもののうち ひとつとして これによらずして創られしものはなし
これに生命あり この生命は人の光なり
光は闇に輝き 闇はこれを知らざりし
That living word awakened my soul,
gave it light,hope.joy,set it free!
ことばは何を表わすのか?
ことばによって表わされる(形を与えられる)以前の「感情」とは何か?
ことばはどこまで対象を表わし得るか?
ことばが表わしきれないのは何か?
ことばがむしろ隠してしまうものは何か?
人の生き様と言葉とは、「行為の偶像」であって、「行為の虚像」であってはならない。
それは、闇であり、光にはなり得ない。
「わからない・・・」
「僕もわからない・・・」
「嘘!」
「本当だ!」
「じゃぁ、どうして、そんな出鱈目を言うの?!」
「出鱈目じゃない」
「嘘!」
「嘘じゃない!」
「じゃぁ、なんで?」
「じゃぁ、どうして?」
「どうして?」
「どうして・・・」
雨は窓を叩くのを止めた。
けれど、僕はコトバを紡ぐのを止めたくない。
いや、正確には止めれない。
コトバを紡ぎ続けることに意味も希望もあるかどうかなんて「今」はわかりたくない。
ただ、「今」は君とコトバを紡いでいたい。
それが僕の「今」の本心だ。
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